趣味と散策

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おもしろいビデオがあります。ユーチューブです。

http://www.youtube.com/watch?v=jCF6U1rqgr4
1983年 日本シリーズ第6戦 金森 江川からサヨナラヒット


このビデオの中で、解説者の江夏豊氏は言っておられます。「金森は他の西武の選手とは異色で、派手さはないが黙々と練習するタイプです」と。

後日、栄治氏本人も「この時のさよならヒットは、その後の、私の野球人生を変えた」と。

栄治氏の西武時代に、本人から聞いた話ですが、「毎日素振り3000回、ランニング10kmが毎日のトレーニングで、休むのは元旦の日だけ、プロの選手なら、試合があってもなくても、毎日毎日が勝負で、ぎびしい世界です」と言われました。
一般人の私は吃驚しました。


この時の日本シリーズは、結果的に西武は4勝3敗で優勝しました。
この後、広岡監督は栄治氏をレギュラーのレフトで使ってくださいました。
数年後に広岡監督が西武球団を引退するに際して、個人的に栄治氏に「クラウン」を進呈されたそうです。
栄治氏はその「クラウン」を石川県庁に寄付されたそうです。

独自の選手育成論を語る金森氏(金沢市橋場町の金城楼)

基礎固めをとことん重視 北國新聞政経懇話会の12月例会(富山・北國新聞社主催)は20日、金沢市橋場町の金城楼で開かれ、千葉ロッテマリーンズ1軍打撃兼野手チーフコーチの金森栄治氏(石川ミリオンスターズ初代監督)が講演した。金森氏はチームが日本一の栄冠を手にした今シーズンを振り返りながら、基礎固めをとことん重視する独自の選手育成論を紹介し、「ぶれない指導法で選手と一緒に前進していきたい」と語った。

金森氏は、若手の育成法について「根っこや幹がしっかりしていなければ、いい花は咲かない。たとえ結果が出ても長続きしない」と指摘。目先の成績よりも、正しいスイングを繰り返して身につけることが先決だとし、選手が大成するかどうかは指導者の辛抱強さにかかっていると強調した。
 
今季、千葉ロッテで金森氏の打撃理論を取り入れ、パ・リーグ首位打者を獲得した西岡剛選手が、米大リーグのミネソタ・ツインズ入りすることについて、金森氏は「トップレベルの技術や精神を吸収し、帰国後に若手に伝えてほしい」とエールを送った。

ミリオンスターズをBCリーグ初代王者に導いた金森氏は、監督を務めた3年間を「ものすごく大きな財産。野球人生の肥やしとなり、今後の土台になっていくと思う」と振り返り、セ、パ両リーグでの監督業にも意欲をのぞかせた。北陸放送の角野達洋アナウンサーが聞き手を務めた。
(2010.12.21の富山新聞より抜粋)
栄治さんの左が叔父の開発清さん
1987年、栄治氏(中央)と彼の叔父(開発清氏・写真左)さん

写真左の人は栄治氏の母の弟で、今は亡き開発清さんです。
清さんは叔父として栄治氏が幼い頃から、勉強にも野球にも徹底して「褒めて自信を持たせる」式の教育をされました。


まだ幼かった負けず嫌いの栄治氏もよく叔父に着いていきました。
清氏は練習を終えると、最後に必ず栄治氏に「よく頑張ったね!」と言っておられました。


次に、今日の反省と次の課題を栄治氏に与えていました。
清氏は栄治氏の幼い時から、ある種の天才教育をされたんだと思います。
それで小学校に上がる頃には栄治氏は、すでに『野球の道へ進もう』と決心されていたんだと思います。
成功の影にこの人有りです。


栄治氏の両親は、栄治氏が幼稚園へ入る頃に、氷見から金沢に移りました。
その後は、地元金沢の小学校、中学は大阪のPL中学、PL学園高校でした。


高校3年の夏の甲子園に、栄治氏のPLもこの時の大会に出場しました。
3年生の栄治氏はセカンドでした。PLは、その時後にプロの中日になったピッチャー土屋がいた銚子商業に、第一回戦で完封負けをしました。その試合のPLのヒットは栄治氏の2塁打1本だけでした。


栄治氏は、今でも野球の道におられますが、これは私達親戚の者にとっては本当に嬉しい事です。
父の良三氏は若い頃から根っからの野球好きで、それはもう「気違い」と言われた程でした。
金沢駅前再開発で道路拡張工事の為に立ち退きましたが、栄治氏の家は元は金沢駅近くの金物店でした。


良三氏は、長年金沢駅前で金物店を営んでおられましたが、嘘のつけない駆け引きのない正直者でした。暇な時はいつも「野球と息子の話」をしておられました。自分には厳しく人には優しい気の良い人でした。