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趣味と散策

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はじめまして 金森健一と申します。


現在、富山県氷見市で家族で自営業を営んでいます。
また、1997年からネットショップもやらせてもらっています。


ネットショップをやっていると、プログが無いと不便だ、と思う事がよくあります。
それで今回「店長ブログ」のようなものを開設させていただきました。どうかよろしくお願いいたします。


鐘釣温泉で
(1961年頃、黒部峡谷・鐘釣温泉にて)


上の写真の真ん中の坊やは、誰でしょう?
実は元ロッテマリーンズの一軍打撃コーチの金森栄治氏(面影があると思われませんか?)です。
彼の幼稚園の頃の写真です。


栄治氏は石川県の出身ですが、生まれは氷見市です。
右のおじいさんは彼の祖父で、私の祖父です。


拙いブログですが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。


ネットショップURL
本店    http://www.kana7.com/ 
Yahoo!店  http://store.shopping.yahoo.co.jp/kana7/index.html
楽天市場店 http://www.rakuten.co.jp/kana7/
 今日は平成22年11月11日(木)です。氷見の天気はくもり時々雨。朝晩大分寒く感じられる頃となりました。


富大病院を退院して早や1年半経ちました。思えば、よく無事に退院できたものだ、と今でもつくづく感謝と安堵の気持ちで一杯です。退院できたのは昨年(2009年)の4月10日です。2ケ月半の入院治療でした。病名は舌癌です。


2008年の夏頃に舌の左側面で、親知らずの歯に接する箇所に血豆のようなものができて、秋頃には僅かな痛みが継続するようになりました。それで10月8日に一度ある病院へ行きました。そして悪性かどうか判定の為に患部採取培養検査等を受けました。


数日後に再度その病院へ行き、医師から「悪性の腫瘍(癌)です。今なら舌の1/4の切除で済むと思います。まだ初期なのでリンパ腺等への転移の可能性はないと思いますが、放置すればリンパ腺や他の臓器に転移する可能性があります。そうなってからでは手遅れになります(癌のステージ1の段階)」と告げられました。


また「当病院には設備はないのでRI検査(腫瘍全身唐代謝PET)とCT検査を、富山PET画像診断センター(富山健康増進センターの隣で富山空港の近く)で受けて下さい」と言われ予約をしてもらいました。


私は内心『この病院は、医師も少ないし設備も不十分なんだ』と思いました。またこの病院には検査の設備が整っていないんだ、とも。それと医学の事はよくわかりませんが、『恐らく舌を切らずに治す方法もあるはずだ』とも。


また、この病院の医師は、最初から無条件で『私の舌の1/4を切除するつもり』だ、ただでさえ自分の舌は人よりも短いのに、舌切り雀じゃあるまいし、なぜ切られねばならないのか?自分はこれまでに何か人様に悪い事をしたのか?なぜこのような報いを受けなれればならないのか、神も仏もあったもんではない、とも思いました。


帰宅すると、やはり医師からの癌告知のショックが大きく、その後数日間寝込んでしまいました。また数日経ってからRI検査等はキャンセルしました。(その3ケ月後に入院した富大病院では、院内にRI検査等の設備が全て整っていました。他の機関に行かなくてもよくなりました。富大病院は氷見の自宅からでも、車で約45分で行けました。)


それと、以前から『病気になったら、タバコを絶対に止めよう』と思っていたので『今がその時だ』と思い、この時にタバコは止めました。最初はガムや飴などで気を散らせていましたが、それもしばらくして不要となりました。(噛みたばこは、なおのこと危険な代物のようです。)


ショックのあまり家で寝込んでいる時に、こう思いました。
『これだけ医学が進んでいるのに切除の方法しかないはずはない』それから『患部も小さいのに舌の1/4の切除とはひどすぎる。舌を切ったら、その後遺症の方がひどいんじゃないのか』とも。『悪い部分を切除して、もし悪い箇所が完全にとれていなかったら、また舌を切るのか、仕舞いには舌が無くなってしまうじゃないか』などと一人で絶望感に陥いる暗悶の日々が続きました。


そんな中でも、なんとか気を取り直しヤフーやグーグル「検索」で『舌癌』や『舌癌闘病記』等を毎日検索しました。


数日して、あるブログに出会いました。
中原央氏のプログ です。
栄治さんの左が叔父の開発清さん
1987年、栄治氏(中央)と彼の叔父(開発清氏・写真左)さん

写真左の人は栄治氏の母の弟で、今は亡き開発清さんです。
清さんは叔父として栄治氏が幼い頃から、勉強にも野球にも徹底して「褒めて自信を持たせる」式の教育をされました。


まだ幼かった負けず嫌いの栄治氏もよく叔父に着いていきました。
清氏は練習を終えると、最後に必ず栄治氏に「よく頑張ったね!」と言っておられました。


次に、今日の反省と次の課題を栄治氏に与えていました。
清氏は栄治氏の幼い時から、ある種の天才教育をされたんだと思います。
それで小学校に上がる頃には栄治氏は、すでに『野球の道へ進もう』と決心されていたんだと思います。
成功の影にこの人有りです。


栄治氏の両親は、栄治氏が幼稚園へ入る頃に、氷見から金沢に移りました。
その後は、地元金沢の小学校、中学は大阪のPL中学、PL学園高校でした。


高校3年の夏の甲子園に、栄治氏のPLもこの時の大会に出場しました。
3年生の栄治氏はセカンドでした。PLは、その時後にプロの中日になったピッチャー土屋がいた銚子商業に、第一回戦で完封負けをしました。その試合のPLのヒットは栄治氏の2塁打1本だけでした。


栄治氏は、今でも野球の道におられますが、これは私達親戚の者にとっては本当に嬉しい事です。
父の良三氏は若い頃から根っからの野球好きで、それはもう「気違い」と言われた程でした。
金沢駅前再開発で道路拡張工事の為に立ち退きましたが、栄治氏の家は元は金沢駅近くの金物店でした。


良三氏は、長年金沢駅前で金物店を営んでおられましたが、嘘のつけない駆け引きのない正直者でした。暇な時はいつも「野球と息子の話」をしておられました。自分には厳しく人には優しい気の良い人でした。

022.jpg
(2009年4月、若くて美人の看護師さんと)


ある体験談ブログとは、
舌癌になり切らない治療を受け、完治された記事でした。私にとっては嬉しい大発見でした。中原氏のブログ記事を毎日幾度も真剣に読みふけりました。治療の細部にまで驚くほど詳細に書いてありました。


私は『ああ、やっぱり切らなくても治る方法があったんだ』と安堵しました。(地獄で仏、砂漠でオアシスとはこのことでした)
それで、私は最初に告知をうけた病院へは尚のこと行きませんでした。
あの癌告知は、間違っていたのではないだろうか、と期待する気持ちも半分まだ残っていました。


その後約3ヶ月間、家では仕事半分・養生半分の状態が続きました。(この頃リーマンショックで、株は毎日毎日暴落していました)しかしどこかの病院へ行って、治療しなければならないのに、私は正直、切られるのが怖くて逃げていたのです。


年が改まり2009年1月半ば頃になると、咳や痰が一段とひどくなり、口を開けるのもやっとの状態になりました。また舌が痛くて、口も満足に開けられなくなり、食事も満足にできない有様になりました。
『ありゃ、やはり癌だ、逃げてはいけんかった。確か中原氏は横浜市立大学付属病院で治療されたんだ、私も早くそちらへ行けば良かったかな、今すぐ行こうかな』などと思いました。しかし最初の病院へ再び行く気持ちはありませんでした。


また中原氏が入院された横浜の病院までは遠すぎます。『もう遅いかも知れない、ひょっとして、もう手遅れかも知れない』と思いつつ、ここがダメならこれで仕舞だ!どうにでもなれ! と観念し祈るような気持ちで富山市の富大付属病院を尋ねました。

富大付属病院を尋ねたのは2009年1月25日でした。(その後の病院での放射線照射治療での照射部分から考えると、恐らくリンパ腺に近い、下あごにまで転移が進んでいたんだろうと思います)


医師団は若くて、皆紳士なのにまず吃驚しました。内心、ここでダメになるのならこれも運命だ、という心境でした。当初、富大病院では検査、検査、検査。検査入院で1週間。一旦退院して、再度の入院でした。
医師に「なぜもっと早く来なかったのか、このまま放置すれば舌の全摘出の選択しかなくなったり、他の臓器へ転移して大変な事になっていた」と注意されました。


今にして思えば、心底ぞっとするような事も医師から言われました。
『もっと速くここへ来れば良かった』と心底、悔やみました。
病院では、結果的に横浜の中原氏と同様の治療をしていただきました。退院は4月10日でした。
その間、色々な治療がありました。痛くて我慢ができないような治療はありませんでした。


私の動注治療は、その都度右股の付け根からカテーテルを入れました。1週間ごとに約1時間30分の治療を計4回行いました。治療後は約6時間、絶対安静で、その間はトイレにも行けませんでした。
(写真は退院の2日前です。多少痩せましたが、この頃になると表情も大分明るくなったようです)


横浜の中小企業診断士の中原さんにはお会いしたことはありませんが、入院中、彼の闘病記を毎日繰り返して読ませていただきました。それで気持ちもかなり冷静に保つ事ができました。


何とか退院しましたが、癌は5年間再発しなければ治ったとは言えないらしく、幸い現在のところは再発はしていませんので心からありがたく思っています。


それで私としても拙い「闘病記」のようなものを書かせていただく事にしました。
不幸にして同じ病気になられた方が、もしも今後におられたならば、多少なりともお役に立てればと思うからです。